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和歌・漢詩@スウェーデン語・ドイツ語

 7月13日に行う「 スウェーデン音楽の調べ vol.5・東方への憧れ」では、和歌や漢詩をスウェーデン語、又はドイツ語にした歌詞による歌曲をとりあげます。
 H.ルーセンベリの作品は、E.ブロムベリ(Erik Blomberg)による漢詩のスウェーデン語訳による歌曲。E.シェーグレン、S.フォン・コック、そしてG.ド・フルメリの歌曲は、いずれも、“李白の詩による”とされている、H.ベートゲ(Hans Bethge)の「中国の笛」というドイツ語の詩集からとられたもの。そして、M.カルコフの作品は、L.エングルンド(Lars Englund)による和歌のスウェーデン語訳によるもの。
 
 和歌や漢詩が、本当に外国語に訳することができるのか、というのは、多くの方が持つ疑問だと思います。詩の場合、リズムや言葉の音も重要で、それを外国語で表現することは不可能です。ただ、それを単なる「翻訳」と捉えるか、また新しい芸術作品と捉えるかでも、考え方が変わってくるように思います。
 例えば、総合芸術と言われる「オペラ」を考えてみた場合。まずは、元となるお話を作った作家がいて、そのお話を解釈して台本を作った人がいて、それを解釈して音楽をつくった人がいて、それをまた解釈した演出家がいて、指揮者がいて、そしてそれをまた解釈した演奏家がいて、衣装を作る人がいて、道具を作る人がいて・・・・解釈=それぞれの芸術的感性 が蓄積され、総合されることで、それが成功した時には巨大な芸術のエネルギーが生まれるわけです。

 そう思うと、今回のケースも、もとの詩をつくった東洋人がいて、それを解釈して自分の言葉にした西洋人がいて、そしてそれを解釈して音にした西洋の音楽家がいて・・・そして、ここが面白いところ・・・それを解釈して演奏するのが、私たち東洋人演奏家なのであります。これを、もとの詩から伝達ゲームを通して、意味が薄まったと考えるか、または、沢山の芸術的栄養分を吸収して濃厚な「何か」が抽出されると考えるか。その答えは、私たちの演奏にかかっているとも言えます。

 とりあえず、第1フィルター(?)となる、西洋語に訳す作業をした上記、E.ブロムベリ、H.ベートゲ、L.エングルンド。この3人の解釈の仕方は、皆、見事に異なっています。それについては、また、次回から少しずつ、お話しできたら、と思います。

 さて、月刊「ムジカノーヴァ」7月号のMUSICA the SPOTLIGHTのコーナーで、この演奏会の情報が掲載されています。購読されている方は、是非、ご覧下さい!

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