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スウェーデン滞在記・番外編

3月16日のコンサートの後のお話です。
 ピアノを趣味で楽しんでおられる、というおじさまから、声をかけられました。私の演奏をとても気に入って下さった、というので、私も嬉しかったのですが、「私はスウェーデン作曲家の作品が好きで演奏して来たけれど、スウェーデンの方からみると、私のスウェーデン音楽の演奏はどうなのか、というのは、気になっていました。」とお話ししました。すると、その方は、「スウェーデンのピアニストたちも、スウェーデン音楽は演奏するけれど、彼らは、『これはこう演奏するもの』と決められてしまっている感じがする。その点、外国の演奏家は、自由に解釈できる、というのは利点だと思う。」とおっしゃって下さいました。
 実は、以前、日本でスウェーデンの方々の前でペッテション=ベリエルの「夏の歌」を演奏した時のこと。ある方が私のところに来て、「私はこの曲を、リュックしょって学校に通っている時から聴いているけれど、その印象とまた違うあなたの演奏は、かえっておもしろかった。」とお話し下さったことがあります。
 作曲家の意図、演奏家の個性、どちらをどの割合で演奏に取り込むか、これに関しては、演奏家の間では常に問題になることで、演奏活動を続けて行く上では最後まで悩み続ける謎であると思います。(もちろん、その二つの要素のブレンド具合そのものが、演奏家の個性となるわけですが)
 ショパンは、自作のノクターンの冒頭にシェイクスピアの戯曲の一部を書き込もうとしてやめ、「曲がひとりでに成長すればよい」と言ったと伝えられています。音楽作品を作曲家から切り離すことで、ショパンの作品が「ポーランドを代表する作曲家の音楽」を越えた国際的な音楽作品に「成長」したとも言えると思います。

 そういう意味では、ステーンハンマルを始めとするスウェーデン作曲家の音楽作品は、今なお「成長」する可能性を多いに秘めている音楽作品たちだと私は考えています。もちろん、作曲して下さった方々の意図、それをできる限り探求することは私たちの義務だとも思いますが、日本人の私たちにしか表現できない音楽を探ること、それもまた、音楽作品を成長させるための私たちの重要な役割であるに違いありません。

 ステーンハンマルたちが、遠い日本の演奏家が自分たちの作品を演奏することをいったい、どう思っていたか?それは今となっては誰にもわかりません。でも、「外国人には私たちの音楽は理解できない」と思うのではなく「新しい解釈がおもしろかった」と言って下さる方に出会えるスウェーデン。そこで生まれた音楽も、ぐっと近づいて来た気持ちになります。

 「うだうだ文章にしなくっても、音楽はひとりでに成長するのだ!」と標題音楽から距離をおいていたショパンからお叱りの言葉が聞こえてきそうですので、この辺りで・・・・

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コメント

「日本人の私たちにしか表現できない音楽を探ること」、大賛成です。
僕が日本人の演奏家の皆さんの演奏する西洋クラシック音楽の演奏会に足を運んだり、ディスクを買い求めたりする最大の理由は、意識していませんでしたが、多分このことかもしれません。
藤原真理さん、千住真理子さん、仲道郁代さんたちをデビュー当時からずっと聴き続けていますが、彼女たちそれぞれの個人の個性とともに日本人でしか出せない個性が素敵だと思っています。

>高橋さま
ありがとうございます。これからも、日本人演奏家の応援、よろしくお願い致します!

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